滝越併用林道


〜ゲートで閉ざされた、山奥深い大規模林道〜


滝越併用林道(長野県木曽郡王滝村)
訪問日:1993年8月


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この林道を訪れたのはもうずいぶん前のこと。10年以上たった今でも、当時のことが鮮明によみがえる。それほどここの林道は、私にとって思い出深いものとなっているのである。


1993年、この頃は空前の4WDブームで、高価なパジェロやランクル80などがバカ売れしていた。猫も杓子も車は4WDクロカン、街に出るとパジェロやハイラックス・サーフが溢れかえり、乗用車の売り上げランキングには高級クロカンが何台も上位に顔を見せる。日曜日になるとマイホームパパが大きな4WD車をピカピカに磨き上げる姿が、近所でもよく見られた。

河原に行くと水しぶきを上げて渡川する大型四駆、そしてその後はお決まりのバーベキュー、残るのは生ゴミや無数のゴミ、カセットコンロのボンベや、ひどいときはコンロ本体まで捨てられているのを見たことがある。自慢げに語る「趣味はアウトドア!」・・・しかし結果として残ったのはチェーンやブロックで閉鎖された河原、林道、海岸・・・。ウミガメの産卵場が4WD車に荒らされたり、貴重な植物群がズタズタにされて話題になったのもこの頃だった。また、ディーゼルによる環境汚染問題も話題になり始める。良識ある4WD雑誌が、放っておけない問題として盛んに取り上げて読者に訴えかけていたことを思い出す。


1993年8月
全国規模でたくさんの林道が実走でレポートされていた(株)スポーツジャーナル社発行の「Way Mooks 林道最新情報Vol.6」です。この本には大変お世話になりました。もうこのような本が発行されることは無いのだろうなぁ・・


この空前の4WDブーム時、多くの4WD専門誌や林道案内的な本が刊行されていたが、次々と淘汰され姿を消していった。今なお残っている専門誌は勝ち組??といえるのだろうか。そうした中、私が盛んに待ち望んでいたのが不定期に発行されていた『林道最新情報(株:スポーツジャーナル社)』という林道案内雑誌である。それを見ながら計画したのが、「信州の林道と温泉巡り:〜屋敷温泉、雑魚川林道、奥志賀スーパー林道、湯沢林道、白骨温泉、上高地乗鞍スーパー林道、月夜沢林道、滝越併用林道、昼神温泉の旅〜」の3泊4日の旅だった。計画性の無い私のことなので、とにかく行き先と宿泊場所だけをとりあえず決め、途中の行程やルートはその日の朝に決める、そして林道走行はその雑誌を見ながら走る、というお気楽な旅行だった。

この時、二日目に上高地乗鞍スーパー林道、月夜沢林道、滝越併用林道の3つをまわる計画であったが、あいにく天候は朝から雨が降ったりやんだり、時には強く降ったり・・。だが、せっかくの林道旅行、多少の雨でも行ってしまおう、ということで雨中の林道走行となった。景観を味わうなどできる天候ではなかったが、月夜沢林道までは無事にクリアすることができた。雨は相変わらずで、滝越併用林道起点に着く頃には3時を大きく回っていたと思う。まあ、ちょっとロングなダートではあるが2時間もあれば通り抜けられるだろう、と軽く考えての雨の中のスタートだった。この日、午前中に月夜沢林道を抜けた後は開田高原、そして午後からは御岳湖、王滝村役場方面から林道に入り、いったん滝越に出て、再び林道に入って三浦貯水池を目指し、そのまま鞍掛峠を越えて岐阜県に出る、というルートを考えていた。十分な下調べもしなかった私は、このあたりの峠のほとんどがゲートでふさがれ、鞍掛峠も『通りぬけのできない峠』なんてことは露程にも思わなかったのである。


1993年8月
路面そのものは走りやすい所が多かったが、場所によっては尖った石がゴロゴロしたガレ場もある。埋もれたカーブミラーの写真は撮れず・・


ところで、この滝越併用林道、最新の地図を見てもその表記がない。私が滝越併用林道と認識していた上島から滝越を結ぶ林道は、御岳林道そして王滝林道と表示されている。もうこの名前は消えてしまったのだろうか・・。

雨の林道、それも初めての林道というのはけっこう気を遣うものだ。路面が滑りやすいのはもちろんのこと、とがった岩でタイヤのサイドウォールなども切りやすい。おまけに標高を上げるとガスがかかったりもする。この日も雨の中、少々不安な気持ちでのドライブであった。途中、作業関係の車とすれ違ったりしたが、気にすることなく進んでいった。

車を進めていくと、いくつか変わった風景に出会った。頭だけ出して、下が埋もれてしまっているカーブミラー、ほとんど埋もれていたり、グニャグニャに曲がったガードレール・・・。山崩れは林道では珍しくないことだが、こんなに埋もれているのは初めてだった。「なんでかな?」と思ううちに一つの看板が目に入る。長野西部地震災害復旧治山事業の看板である。これを見るまで、この現場が長野西部地震の土石流の被害現場だということは、下調べもしないでここに来た私などにわかるはずのないことだった。


1993年8月
長野西部地震災害復旧治山事業の看板。この看板を見るまで、恥ずかしながら長野西部地震のことは全く頭になかった。発生が昭和58年なので、当然記憶があってもおかしくないのだが・・。


その看板には

『昭和58年9月14日8時48分、王滝村を震源地とする長野県西部地震(マグニチュード6.8)によって、村内の各所で山くずれが発生しました。特に御岳山南西斜面から発生した崩落土砂(推定3600万立法メートル)は、巨大な土石流となって渓谷を削り、下流に大災害を与えました。(以下略)』

などのことが書かれてあった。詳しいことは書かれていなかったので、その時は「地震があったんか・・」というくらいの気持ちであったが、その後調べてみると土石流や地すべりで29人もの犠牲者を出していることや、濁川温泉が経営者の家族の方もろとも、のみこまれて姿を消してしまったこと、一つの集落がこの災害によって消えてしまったこと、などがわかり、何とも言えぬ気持ちになったのを覚えている。亡くなられた方の中には、まだ遺体が見つかっていない方もあるときく。心よりご冥福を祈る次第である。

その看板を過ぎると、川の流れる大きく拓けた工事現場のようなところに出た。土石流災害の現場である。その爪あとは大きく残っていた。山が大きくえぐられているその風景、荒涼としたその異様な光景は今も脳裏に焼きついて離れない。滝越併用林道といえば、浮かんでくるのはこの風景である。いったい今はどのように変わっているのだろう。


1993年8月
濁川の土石流災害現場。山が大きくえぐられ、その爪あとの大きさがわかる。当時、大規模な治山工事が進められていたが、あれから10年以上たっている現在はどうなっているのだろうか。


雨は次第に強くなり、林道を走ることがかなり不安に感じるくらいになってきた。路面の状況も悪くなり、尖った石がゴロゴロしている。スピードを緩めて、安全運転に心がける。林道を走っている、その所々に何箇所かゲートがあったが、幸いにも空いていて通ることができた。ここが初めての私は、空いているのを普通に感じ、この先ゲートで閉鎖されているなんてことは全く考えることは無かった。

そうこうしているうちに『滝越』に着いた。『釣りキチ渓谷』なるレジャー施設の看板が見えたが、あいにくの雨で人は誰もおらず、静まり返ったその様子は物悲しさに拍車をかける。ここでは雨も小降りになっていて、写真を撮ることもできた。しかしここでゆっくりとしている暇は無い。先を急ぐことにした。

『滝越』を出て再び林道(上黒沢林道?)に入り、少し走ると、また雨が降り始めて、おまけにガスもかかってきて視界が悪くなってきた。ガスはかなりの量である。もう100m先も見えなくなっている。さすがに焦ってきた。これまで林道を走っていて不安に思ったことは無かったが、この時ばかりは「早くこの林道をクリアしてしまいたい。」「出口はまだか〜!」など思ってしまった。早く出たいと思うあまり、自然と車のスピードも上がってくる。それがいけなかった・・・。


1993年8月
滝越併用林道を出て『滝越』の集落に至る。天候が悪いせいかキャンプ場に人の姿を見ることはできなかった。この『滝越』には、いくつかの民宿があるそうだ。そういうところで宿泊しながら、ゆっくりと林道散策などしてみたいなぁ・・、と今でもよく考えています。
道路脇に見える林道標識は『上黒沢林道』のものである。


大きく反り返った鉄製の溝ブタの角を、ついつい見落としてしまったのだ。それにタイヤが当たる時の感触は何ともいえないものだった。鈍く、でも鋭いショックだ。その後「シューッ」という不気味な音が耳に突き刺さってきた。パンクである。最悪の条件の中でのパンクだ。でも原因は自分のミスである。誰もうらむことはできない。そして雨の中のタイヤ交換。幸いにも小雨になってくれたのがせめてもの救いだった。この時の車のビッグホーン、足がのびるのびる。いくらジャッキアップしてもタイヤが浮かない。さすがクロカン車だ、なんて感心する余裕は失せていた。やわらかい路面、しかも斜面がそれに追い討ちをかける。ジャッキの下に大きな分厚い石を並べてなんとかタイヤを浮かすことができ、無事タイヤ交換を終えることができたが、もうこれで全力を使い果たした気分になってしまった。何はともあれ車を再スタートすることができてよかった。心臓に悪い体験であったが、ひと仕事の後の立ちションが今でも妙に爽やかな印象として残っている。


雨とガスは相変わらずである。「まさか林道出口がゲートで閉まってないやろなぁ・・」「閉まってたら泣くなぁ・・」などと思いながら車を走らせると、左手に雨の中静まり返った三浦貯水池が見えてきた。もうあたりは薄暗くなっている。その中に静かに横たわる、暗い湖面から突き出た古木の影を何本も映すこの湖。なんとまあ不気味だったことか・・・。何か出てきそうな雰囲気だった。天気の良い日に見ると美しいのだろうが、この日は何とも不気味だった。

超ロングなダートドライブ。峠を越える感動など感じる余裕も無く、もういったい何キロ走ったのだろう、などと思っていると、視界には最後のゲートが見えてきた。通れるかどうか、いまひとつ不安だったが・・・。

「よかった、あいてる。」「ここはやっぱり通り抜けられる林道やったんや。」「閉まってるはずなんかないやんなぁ〜」など関西弁バリバリで、何も知らず、おバカな喜びの声をあげていたのだが、実際は『ここはゲートで閉ざされた、通り抜けのできない林道!』だったのは言うまでもない。なんとラッキーなことなのか・・。もしこの時、出口(鞍掛峠側)のゲートが閉まっていたら、延々と引き返さなくてはいけなかったのだ。後に地図で測ってみると、なんとダート路の合計は66km以上の距離だった。『滝越』までだとしても40kmは引き返さなくてはならない。つくづく「ラッキーだった・・。」と思った。そう、ラッキーの連続だったのである。それと雨中の貴重なこの体験、入ってはいけない林道に侵入して林道管理者の方には迷惑をかけてしまったわけだが、ここでささやかながらお詫びを申し上げたい。「すいませんでした・・」



午前中の二つの林道をあわせると一日で100kmは走ったであろう、長い林道のたびは終わった。疲れた体に鞭打ってたどり着いた昼神温泉、そこで食べた鯉こく料理が何と美味かったことか。普段は鯉こくなんて美味く思ったことないのに・・。また、ゆったり入った温泉は、平凡な温泉宿であったが思いっきり心身を癒してくれたものだ。なお、この日走った王滝村の林道のコースを地図で表してみたので参考にしていただきたい。当時もそうだったが、このあたりの林道の多くはゲートで閉ざされ、峠の通り抜けは不可能である。ゲートは、以前横行した檜泥棒対策だそうである。悲しむべきことである。


ちなみに鞍掛峠あたりはガスでどうしようもなく、景観を味わうどころではなかった。正直なところ峠を越えたことさえ印象に残っていない。恥ずかしいが、そんな余裕がなかったのだ。したがって写真もほとんど撮れていない。それでもこの時の体験は、私の中では超五つ星である。もう、このあたりの林道はゲートだらけで入ることができないらしいが、もう一度行けるところまでは行ってみたいと思っている。


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