茨川林道(滋賀県神崎郡永源寺町) |
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この林道は、随分久しぶりになる。とても好きな林道だから何度か訪問を試みたのだが、永源寺第二ダム計画のためか通行止多く、その後おっくうになってしまって行っていなかった。どうなってしまっていたのかずっと気がかりだったのだが、そういう理由で長らく訪れることもなく、今回久しぶりの訪問であった。 |
名神八日市インターから八風街道(R421)を三重県側に向かって進む。紅葉時に大いに賑わう永源寺を越えると、やがて永源寺ダムが見えてくる。さらにダムを超え、いくつかのキャンプ場を通り過ぎて八風街道が極端に細くなるところ、そこをさらに進んでいく。そこはこれから山狭路に入っていくことを示している所である。「対向車がないといいなぁ・・」など覚悟していたのだが、意外にもその細い道は拡幅工事のため路肩が整備され、待避所もいくつかできて随分走りやすくなっていた。これもダム工事の影響なのだろうか・・・。工事が始まると大型ダンプがガンガン走るのだろう。そうなるとキャンプ場は雰囲気が変わってしまうのだろうなぁ・・・。その狭路を程なく走ると茨川林道起点が見える。ちなみに、このまま八風街道を進んでいくと、鈴鹿の山をどんどん上り、三重県と滋賀県の県境である石榑峠に至るのである。峠には、2m以上の車幅の車を強制的に通れなくする為の大きなコンクリートブロックが積まれている。 |
2004年7月撮影 |
2004年7月撮影 |
懐かしい定番の林道の看板。「以前と変わっていない・・よかった!」林道の入り口は全く以前のままだった。茨川林道と書かれた古い道標もそのまま。なんだかホッとした。久しぶりに出会った恋焦がれていた彼女が、当時の可愛らしさを残していたかのようで、なんだか嬉しい。時には当時とは想像つかない姿を見せてくれる女性もあるが、林道も同じである。様変わりしてしまって、期待を裏切られる林道が多い中、茨川林道は当時の姿をそのままに残していてくれたのであった。 |
2004年7月撮影 |
2004年7月撮影 |
さて、林道は工事車両が通行しているせいか、地面が硬く踏み固められ以前のような荒れた印象はほとんどない。未舗装ではあるが非常に走りやすい。 |
2004年7月撮影 |
起点辺りでは見ることができなかった谷底を流れる茶屋川、折戸橋からその美しい谷の景色を満喫することができる。前方に隧道、橋の両側には深い谷、茨川林道の特徴的な場所である。特に秋の紅葉の季節は絶景である。もうこの世のものとは思えない程だ。今年こそ!と毎年思うのだが、仕事が忙しくなかなか行くことができていないのが残念である。 |
2004年7月撮影 |
茨川林道は茶屋川にそそぐ小さな川がいくつもある。そのたびに橋を渡り、終点である廃村茨川へ近づいていく。左側にあった川が今度は右側、そして、また左側、というように変わっていき、訪れる私を退屈させることは決してない。深く谷底に流れていた川も、林道の中ほどあたりではもうすぐそばを流れている。 透明の水、川底の石、流れる音、小鳥のさえずり、水たまりの水を求めて集まってくる黒アゲハ。すべてが私の心を癒してくれるのだ。 |
2004年7月撮影 |
この日は林道終点辺りで治山工事が行われていた。しかし茨川では、近い将来これとは比較にならない大規模な工事が待ち構えている。永源寺第二ダム工事が本格的に開始されると、こういった風景は二度と味わえないものになってしまうのかもしれない。ここでダムの是非について語るつもりもないし、語るほどの知識も持ち合わせていない。ただ、失われる自然を憂うだけである。この先、茨川林道ならびに茶屋川がどのように姿を変えていくのかはわからない。だがダムができるか、できないかで大きく様変わりしてしまうのは間違いない。 |
2004年7月撮影 |
何百年、何千年と流れてきたであろうこの茶屋川の清流、その昔は銀の発掘のため清流が濁ってしまっていたということだが、今またダムという消すことのできない大きな建築物によって、その清流は濁ったものになってしまうのだろうか。 |
2004年7月撮影 |
2004年7月撮影 |
2004年7月撮影 |
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■e−konの道をゆく■ |
茨川林道(滋賀県神崎郡永源寺町) |
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これまで多くの林道を訪れた。その中には一回きりのものもあれば、何度も訪れたものある。それら数多い林道の中でも、この林道は一番多く訪れた林道だ。地図を見て廃村や林道を訪れるようになる以前、他の目的でドライブ中に偶然さびれた脇道を見つけた。それが茨川林道の起点だった。何となく入ってみたところ未舗装路で、まだまだ行けそうで、そのままどんどん先に進んでいった。安定しない路面。むき出しの山肌、そこから剥がれ落ちたと思われる石や岩。横を流れる清流。覆いかかる木々。路面のくぼみにできた水溜りに群がる黒アゲハ。見るもの全てが新鮮であった。しかしそのころは途中の山崩れのため終点の廃村『茨川』まで行くことができず、廃村の存在にさえ気づくことはなかった。そこに廃村があることを知ったのは、そういうことに興味を持ち出して地図を調べ始めるようになってからである。その時は「ここにあるやんけー」状態だった。ここは茨川集落に行くための道だったのだから当たり前の話だ。私が単に知らなかっただけである。 |
1993年11月か、1998年8月撮影 |
当時の終着の茶屋川の廃村『茨川』まで行けるようになってからは、もう何度行ったことか・・・。廃村を訪れる以外にも、キノコ採取にもよく出かけた。ここでの私のお気に入りはチャナメツムタケだった。ナメコのように粘性があり、ナメコよりはるかに大きい。肉厚もある。味も良い。鍋に入れると、これはもう最高であった。その他にもヒラタケが群生する切り株を見つけたり、天然のシイタケを見つけたり、ばかでかいコガネタケの群生に圧倒されたり、などキノコの思い出が数多い。 |
1993年11月か、1998年8月撮影 |
また清流、茶屋川にアマゴの稚魚を見たことも印象深い。しかし、こういうこともあった。飲んでも何の問題もないと思われるような全く透明な水。手ですくって飲んでみようと思ったその時、何か白くて細い糸状のものが水中でゆらゆら揺れている。何かの植物の葉っぱが枯れ落ちて、その繊維が残ってる?などと思ってよく見ると、何か動きがおかしい。小さな円を動くように揺れている。明らかに何かの意思を持って動いているのだ。それは寄生虫だった。何という名なのかはわからないが、寄生虫だった。それ以来、生で自然の水を飲むのはやめることにした。実際はその後もきっちり飲んでいるのだが、その時はそう思った。強く決心したのだった。 |
1993年11月か、1998年8月撮影 |
この他、ここで鉄砲を担いだ人と出会ったこともある。兵隊さんの幽霊ではない。ハンターだ。鉄砲を担いで近づかれると非常に嫌な気分だ。撃ち殺されるのだろうか、などと考えてしまう。走って近寄ってこられたりしたら思わず逃げてしまう。映画の八つ墓村のワンシーンを思い出してしまうのだ。その時は何か慌てながら近づいてきた。「このへんで犬を見かけなかったか?」とたずねてきた。猟犬が行方不明になってしまったようだ。しかし犬を見かけていなかったので「知らない」と答えると、その男は残念そうに去っていった。その後どうなったのだろう、などと今でも考えてしまう。愛情で探していたのか、道具を失くした感覚で探していたのかはわからないが、気になるところだ。それに犬はどうなったのだろう・・・。少し行くとそのハンターのものらしき車が停まっていた。大阪ナンバーだった。遠く大阪からこんな山奥まで獣を撃ち殺しに来ていたのだった。 |
1993年11月か、1998年8月撮影 |
この未舗装だった林道は今は当時の終着の茨川より奥まで伸びているときく。しかし第二永源寺ダムの建設で今後大きく変わっていきそうだ。清流『茶屋川』はどうなるのだろう。ダム建設反対運動もあるようである。しかし地元の人たちの多くはダム推進派であると新聞は報じている。何が正しいのかわからない。 |
1993年11月か、1998年8月撮影 |
この林道は石榑峠を越えて滋賀県と三重県を結ぶR421(通称『八風街道』)から分岐している。冬季はほとんど通行止めになる、この細い国道も今後大きく様変わりする。鈴鹿の山をぶち抜くトンネルが建設されるのだ。そうなると近江と伊勢を結ぶ主要幹線道路になるらしい。5年後、10年後、ここの風景は大きく様変わりしていることだろう。 そう考えるともう一度ゆっくりとここを訪れたくなってくる・・・ |
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