滝谷武奈林道(滋賀県彦根市〜坂田郡米原町) |
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久しぶりに『滝谷武奈林道』に訪れた。鈴鹿山脈の最北端に位置するこの林道、前回訪れたのが98年だから、もう6年近く前のことになる。その頃はまだ工事中で全線が開通しておらず、彦根側の廃村武奈の北側あたりまでしか行けなかったと記憶している。今回は米原まで通じていることを最新の地図で確認してのスタートであった。 |
2004年6月撮影 |
2004年6月撮影 |
2004年6月撮影 |
米原町側からのアプローチを試みたこの日、名神の米原インターから南へ延びる道を進んで、まずは米原工業団地のアイリスオーヤマ工場を目指す。そしてそこを越えるあたりから建物はほとんど見られなくなる。新たに開通した林道なので当然舗装されていると思っていたのだが、米原町側の起点からしばらくは未舗装路で、けっこう古びたイメージで路面もそこそこ荒れており、走っていて非常に心地良いものだった。「これは嬉しい誤算だなぁ」なんて思っていたが、よく見ると荒れた路面に赤い目印のようなものが打ち込まれている。また、測量作業をしている人たちとも出会った。おそらく次の路面の工事のためのものだろう。荒れたダートの雰囲気を味わえるのもあとわずかなのかもしれない。 |
2004年6月撮影 |
2004年6月撮影 |
2004年6月撮影 |
荒れた上り坂のくねくね道を越えたあたりから、道は広々とした砂利道に変わる。非常に走りやすい道だ。そして『青龍の滝』への分岐を超えて間もなく、道の左手に『菜種川源流:モリアオガエル産卵地』と書かれた碑があらわれる(菜種川は蛍で有名な天野川の支流である)。天然記念物として指定されていることの多いモリアオガエルの産卵地をこうして表示するのがいいのか悪いのかは判らないが、心無い人たちに荒らされないように、と祈るばかりである。 |
2004年6月撮影 |
2004年6月撮影 |
この広々とした砂利道をもう少し進むと、今度は大きな真新しい記念碑が目に入る。自然石に大きく『滝谷武奈林道』と書かれている。その横には『滝谷武奈林道開通記念/起点、彦根市野田山町/終点、坂田郡米原町西坂/延長総延長二一九〇六米/彦根市側一五七八六米/米原町側六一二〇米/開設期間、起工昭和四九年/竣工平成十五年』と書かれた小さな碑が添えられている。大きな碑はなんとも趣味が悪い。この小さな碑だけでもよさそうなものなのに。彦根市側の起点あたりとはずいぶんと雰囲気が違う。 また、これだけの道幅にしているのは、将来的にいろんな計画があるように思えてならない。林道の脇に、ところどころ整地されたスペースがあるのがさらに私を不安にさせる。人が住まなくなったこのあたりの地、『清流の滝』『比婆神社』『男鬼の山の家』『竜宮・竜王』などが昔からあるが、近い将来、新たに何かを作る予定なのだろうか・・・。自然の中に容易に人間を呼び入れることで自然の動植物が壊されてしまうのを見るのは、まことに悲しいことである。自然の景観を大切にする、できる限り自然の状態を残す、大切な自然の恵みを壊さないようにする、私の中ではこれらのことは大変大事なことだと思っているのだが、いかがなものだろう・・・。 |
2004年6月撮影 |
彦根市に入り未舗装の道もやがて終わり、広々とした舗装路に変わる。山の風景が開かれたこの地で、今度は猿たちが出迎えてくれた。無数のウンコとともに・・・。このあたりアスファルトの路面はなぜか緑っぽいウンコでいっぱいである。思わず踏んでしまいそうになる。この地にアスファルトの風景が不似合いなのを猿も感じ、それに抗議しているようにも思える。幼い頃、なにか気にくわないことがあるとウンコをする友がいた。もちろんトイレに行くわけではない。そのままチビッてしまうのである。ふとそのことを思い出したりした。しかし「こんなとこに道をつくりやがってー!腹立つなぁー!ムカつくー!ウンコでもしたれ!」という猿たちの心の叫びが聞こえてくるのは、私だけなのだろうか・・・。 まあ、私だけなのだろうが・・・。 |
2004年6月撮影 |
舗装されて道幅十分なこの林道は、狭く荒れた旧道を分断し、そして繋ぎながら彦根方面に進んでいく。林道を離れ、枝分かれした旧道を行くと廃村『明幸』『武奈』そして『男鬼』へ行くことができる。廃村あたりの旧道脇には多くのシイタケの原木が詰まれており、この日も作業している人の姿が見られた。廃村の旧住民の方なのだろうか。その原木の量は以前に比べて増えているように思える。うっそうとして、昼でも薄暗いこの地、適度な日陰と湿気がシイタケ栽培にむいているのかもしれない。 |
2004年6月撮影 |
彦根側へ下って水谷彦根線と交わる分岐には、林道でよく見ることができる黄色い看板と、『広域基幹林道滝谷武奈線』と書かれた木製の古びた道標が建てられている。何とも地味でいい感じである。しかしこの林道はこれで終わりではない。水谷彦根線から笹尾の集落に入って再び『滝谷武奈林道』となって、R306近くの野田山町にぬけるのだ。だがこのあたりは車の少ない普通の道という感じで、特に見るべきものはない。 |
2004年6月撮影 |
久しぶりに訪れた『滝谷武奈林道』、米原方面からの一部に未舗装部を残すが、これも近い将来舗装されることだろう。決して美しい景観が見られるわけではないが、なぜか惹かれる部分が多い。廃村、過疎の村、それらを結ぶ複雑な旧道、これらが旨く絡みあって出している独特の雰囲気、これが私にとってなぜか波長が合い、魅力的に感じてしまうのである。 |
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滝谷武奈林道(滋賀県彦根市) |
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彦根市の東部の奥、昼なお暗い山間部に『男鬼(おおり)』『明幸』『武奈』という3つの集落が寄り添うように存在している。いや、存在していた、というべきだ。すでに廃村となって長い年月が経過しているのである。その廃村をさかんに散策していた頃、この滝谷・武奈林道の工事が行われていたのを覚えている。R307から入って笹尾に向かい、いったんR239に出て再び林道に入って廃村方面に向かう。大体そういうルートだったように記憶している。1998年に訪れて以来、全くこちらの方面に行く機会がないのでその後がどうなっているがわからないが、工事は米原方面まで延びているのかもしれない。廃村『男鬼』が教育関係の山の家として使用されているが、このような山奥の道路整備はそのためもあるのだろうか。この彦根東部から多賀町の北部には多くの廃村、過疎の村が存在しているが、そのあたりについては『廃村』の項で述べたいと思う。 |
1994年8月撮影 |
そういえば、この林道といえば思い出すことがある。この写真の撮影は1994年と1998年なのだが、それより数年前に訪れた、ある春先の時のこと。この林道より廃村へ向かう支線を走行中、路面を残雪が覆っているのが見えた。道幅いっぱいで15〜20mくらい先まで覆っている。そこだけ木々の陰になって、雪が溶けずに残っていたのだった。しかも固めたカキ氷のようになっていた。4WD、しかもスタッドレスということで楽勝と思い、なんのためらいもなく突っ込んでいった。バカだったなぁ・・・。ガリガリという音とともに車は数メートル進んだものの、案の定そのまま進めなくなってしまった。バックで戻ろうと思っても全く戻れない。固く凍った雪を4輪のタイヤがえぐり、そのままフロントバンパーの深みまで沈んで動けなくなってしまったのだ。のぞいて見ると、車の腹も雪面をえぐっている。スタックである。車がもう1台あれば、牽引で簡単に脱出できるのだが、こんな所に車が通るかかることも期待できない。この日は一人、ということもあり大いに焦ったものだ。何とか気持ちを落ち着かせて考えると、車に携帯式のシャベルを積んでいたのを思い出した。約1時間かけて車体下の固く凍った雪を削り出し、バックの為の道を作り、何とか事なきを得たが、もう汗と泥と雪だらけで、服はドロドロ、その日の体力を一気に使い果たしてしまった。まぁ、今となってはいい思い出なのだが・・・。人間はバカな失敗をしながら、成長していくもんである。それ以降は、長靴、カッパ、シャベル、着替えは常に装備している。ちなみにこの時の車はハイラックスサーフである。いろいろ思い出深い、愛着ある車だった・・・。 |
1994年8月撮影 |
で、この林道であるが、写真の時は舗装と未舗装が混在しており、十分な道幅で非常に走りやすく、近い将来間違いなく全線舗装されることが予測できたものである。先に書いたように工事は続行中であったので、今は思いっきり様変わりしていることだろう。 |
汗をかいて一休みした後、帰路についた時に山肌から見えた遠く霞の中の琵琶湖が今でも印象に残っている。 |
1994年8月撮影 |
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