ふるさと男鬼
〜カナダ生まれの男鬼育ち〜<< 8 >>

ご主人には戦争体験のこともうかがった。現在86歳ということは、終戦時は25歳くらいであろうか。千島で終戦をむかえられたそうである。そしてすぐに帰ってこられたのではなく、その後シベリアに抑留となり昭和22年に復員帰郷されている。2年間も抑留されていたのだ。その間、この『男鬼』で経験した山仕事やそこで培った脚腰の強さや体力、これがこの抑留生活の中でも多いに役立ったという。この抑留生活、マイナス何十度という極寒生活、さらに最悪の食事事情、そういう中で多くの者が栄養失調で体力をなくし病気にかかり、多くの者が命を落とす。今の平和な日本からは全く想像のつかない過酷で悲惨な世界である。そういう極限状態の中で限界をはるかに超えた労働を強いられ、いつ命をなくしても不思議でないという、死と隣り合わせの経験をされてきたにかかわらず、そのような部分に一切ふれずに抑留体験のお話をされていたのがとても印象的である。
 そういえば旧芹谷村の水谷にお住まいで、同じくシベリア抑留の経験をお持ちの88歳の方に話をうかがった時も同じであった。あれだけの過酷な体験をされていながら、そのことを特にどうとおっしゃられることはなかった。お二人ともこちらから尋ねて初めてその死と隣り合わせの状況を語られたのであった。こういう姿に非常に「男」を感じる。たいしたこともないような苦労を大げさに言いがちな現代人、自分だけが苦労をしていると思い込みがちな人が多い中、もう重みが違いすぎるとしか言いようがない。歴史が違うのである。

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