栃ノ木〜山中線


〜峠から始まる、開放的で走りやすい林道〜


栃ノ木山中林道(滋賀県伊香郡余呉町〜福井県南条郡今庄町)
訪問日:2004年8月


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このホームページ開設にあたって、林道のトップを飾るこの林道の写真が少ないことがずっと気になっていた。先にも書いてあるように、訪れてはいたものの、写真に残そうという気持ちが起こらずそのままになっていたのである。そこで先日、北陸方面に訪れた帰りに寄ってみることにした。福井県から北国街道を南下し滋賀に向かう。今庄側の最終のコンビニを出てスキー場を超え、上り道に入る。少しクネクネしているが、そんなにひつこくなく峠に着く。久しぶりに懐かしい看板が見えてきた。


2004年8月撮影
県境のR365(北国街道)。橋を渡った手前が峠だ。

2004年8月撮影
峠には林道の地図看板と栃の木峠について書かれた立派な看板がある。


2004年8月撮影
林道の地図

2004年8月撮影
栃の木峠の由来が書かれた看板。下の文はそれの抜粋である。これを読むと、この巨木ならびに北国街道が歴史あるものだということがよくわかる。


そして峠の象徴である栃の木。いつ見ても見事である。峠の看板にこの栃の木のことが書かれてあったので原文のまま載せてみた。

『この峠は標高537米、越前と近江の国境に位置して北国街道の要路にあたる。峠付近には栃の木が群生していたのでこの名がある。

天然記念物(昭和四十九年県指定)の栃の木は樹齢約五百年、樹高二五米、周囲約七米の大木である。栃の木は町木にも指定され、雨にも雪にも耐え幾多の歴史を秘めて空に雄々しくはばたいている姿は雄大そのものである。

天正六年(一五七八)柴田勝家は越前北に封ぜられた時、安土、京都方面への近道として道巾三間といわれる大道に改修して以来旅人の往来で大変にぎわった。ふもとの板取区は、当時の宿場町として栄え「妻入り甲造り型民家」にその面影をとどめている。

県指定無形文化財、羽根曽踊りの歌詞の中に「今庄朝立ち、木の本泊まり、中の河内で昼弁当」と歌われ当時の様子をよく表している。

現在は、国道三六五号線として滋賀県へ通ずる主要な道路になっている。

なお、この峠を起点として広域基幹林道が開設され、その附近は森林資源や中世の史跡に富、眺望もすばらしい。

今庄町教育委員会』


2004年8月撮影
栃の木は林道起点のすぐ横にある。見事な大木である。


2004年8月撮影
樹齢約500年という、気の遠くなるような間ずっと生き続け、峠を見守り続けている。人間なんてちっぽけなもんだ・・・。でも多くの生命を、無駄に破壊し続けるのは、そのちっぽけな人間・・・。


林道起点である峠の脇にはスキー場が見える。スキー場といえば、この峠附近には滋賀県側に二つ、峠を下った福井県側に一つのスキー場がある。しかし雪が減ってきた昨今、営業期間はそう長くないようだ。そのスキー場を左手に見ながら林道は進んでいく。前回にも書いたように林道は全線完全舗装である。面白みはないが非常に走りやすい。この日も二台のオンロードバイクがツーリングに来て、気持ちよさそうに走っていた。


2004年8月撮影
峠横にあるスキー場。このむかえにもう一つスキー場がある。

2004年8月撮影
路面の状況はごらんの通り、普通の道である。非常に走りやすい。


峠から出ている林道なので、出発時点で標高はかなり高い。従って走り始めてすぐに眼下に山並みを見ることができる。景観は文句なしだ。また常に空が大きく広がって見えるため、非常に開放的でもある。林道特有の杉林のうっそうとした雰囲気など皆無である。


2004年8月撮影
遠く山肌をぬっていく林道。この山を越えると日本海が見える。


2004年8月撮影
ビューポイントも十分にある。これは観光林道なのかも・・・・


2004年8月撮影
途中赤土丸出しの待避所がある。前日の雨でぬかるんでドロドロになってしまった。


ふと道脇に目をやると、林道途中に倒れかけた古い道標がある。林道でよく見ることのできる白い杭状のやつだ。それには「昭和61年度広域基幹林道開設(栃の木〜山中線)」書かれている。20年も前のものである。私が初めて訪れたのが1994年だから、それの更に10年前だ。94年当時、未舗装だったものの平らに整備されていたことを考えると、この道標の頃は整備される前の「より林道の原型に近い状態」だったに違いない。その頃、こういったことへの興味はなかったが・・・行ってみたかったなぁ・・・


2004年8月撮影
古い道標・・


2004年8月撮影
峠を少し下ったところに民家がある。この民家は手入れはされているが、もう住人はおられないようだ。先祖代々、北国街道を見守ってこられたのだろう。


2004年8月撮影
この滋賀県余呉町には他にも林道や廃村がいくつかある。細かくて見えないとは思うが・・・。


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ここより下は、以前の(1993年の)栃ノ木〜山中線です。




栃ノ木〜山中線


〜北国街道のかつての難所、栃の木峠からのびる林道〜


栃ノ木山中林道(福井県南条郡今庄町)
訪問日:1993年9月

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三重〜岐阜〜滋賀〜福井へと抜けるR365(通称:北国街道)を北上し、滋賀県最北部、福井県との県境にある峠、『栃ノ木峠』を起点として北に向かってのびる林道である。峠には今もその名のとおり巨大な栃の木がひっそりと残っている。本線途中に、敦賀に下る支線とスキー場(今庄365)に向かってR365に下る支線、がある。


初めて訪れた時は全線未舗装であった。しかし決してダートという雰囲気ではなく、単に舗装直前の砂利道といった感じで、道幅も広く、非常に開放的で走りやすかった。空が良く見えて開放的な雰囲気、途中に若狭の海を眺望できるビューポイントがあるなど、決して悪いイメージはないのだが、あまりに整備されすぎていて面白みに欠けるせいか、その後永らく訪れることもなかった。そのため写真撮影も殆どしておらず、寂しい限りのページとなってしまっている。


1993年9月撮影
未舗装ではあるが十分な道幅、砂利。舗装間近なのがわかる。常に空が広く見える、とても開放的な林道である。


予想通りというか、当然というか、今はすっかり舗装されて、全く普通の道路といった感じである。北国街道から敦賀に抜けるとしたら、もっと前の柳ヶ瀬トンネル経由のほうのルートを取るだろうし、越前海岸に出るなら北陸道を利用するだろう・・・、といって林業で盛んに利用されているようにも見えない。福井県内で北国街道とR476、南今庄を結ぶ道として利用されているのだろうか。今ひとつ、どういう目的の道なのかがはっきりしない。


この北国街道は歴史ある道で、その昔、中山道から北陸方面に向かう主要道として大いに利用されていたようである。街道に沿っていくつかある集落は宿場町として栄えたのだろう、当時の面影を残す所や建物が残されているところが多くある。つづらおりの道を汗水たらしてのぼり、背中にたくさんの荷を背負った人や馬などが椿坂峠、栃の木峠を越え、宿場で疲れた体を休める。それぞれの人が、それぞれの目的を持って・・・。そこには数知れないドラマが生まれ消えていく。

この『栃の木峠』は中でも最大の難所だったのではないだろうか。このあたりは近畿でも有数の豪雪地帯である。今でも冬季は滋賀県側は余呉高原スキー場、福井県側は今庄365スキー場で通行止めとなる。冬は長い間雪に閉ざされてしまう。その昔、こういった雪深い環境の中で、人々は一体どういった生活し、どのように峠を越えていったのだろうか。今のように電気があるわけではない。除雪車があるわけではない。そういった厳しい自然を受け入れ生活をしていた人たち、今の人間の何乗も強かったことは間違いない。受け入れざるを得ない、生活せざるを得ない、そういう環境だったからこそ乗り越えることができたのかもしれないが・・・


1993年9月撮影
起点近くの木の伐採作業現場。ここからケーブルで運搬されている。ただし林業が盛ん、という雰囲気ではない。


峠の宿場はもう既にこの地にはない。しかし今も残る大きな栃の木。この峠の巨木を目指して多くの人がここを通ったことだろう。たどり着くまでの辛い道のりを振り返りながら峠からの美しい景色で心を癒す旅人、自然の脅威にさらされながらたどりつき、次の出発までの束の間のひと時を味わう旅人、熊や狼、さらには山賊に襲われ命からがら逃げてきて安堵の表情で胸をなでおろす旅人、様々な旅人たちをこの巨大な栃の木は見続けてきた。そして峠の巨木は自然の全てを受け入れ、何百年の間変わることなくここに居続けている。

変わっていくのは、巨木を見る人間たちだけなのである。
自然を受け入れず、それを強引に変えていってしまう人間。
何事も程々にしないといけない、なんて感じてしまう今日この頃である。


栃の木の峠の巨木

1993年9月撮影
峠の巨大な栃の木。この場所にかつては宿場があったらしい。いったい何人の人間がこの木を見たのだろう。いずれにしても峠の目印となるこの巨木、訪れる人の旅の疲れを癒してくれたことだろう。


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